イタリアの地理的特質と産物

 イタリアはヨーロッパ大陸の南、地中海の中心に伸びる半島部。北をフランス、スイス、オーストリア、スロヴェニアと接して東西にアルプス山脈を擁し、半島の付根あたりを西から東に、そして南北にアペニン山脈が貫き、スィチリア海峡を挟んで、スィチリア島からアフリカ大陸まで150kmという地理に位置する20州(うち島2州含む)からなる国で、5700万の人口をもつ。山麗の北部を除くと地中海性気候で、適度の湿気と風、太陽光は多大な自然の恵みを産み出す。
 北部はヴァッレ ダオスタ、ピエモンテ、ロンバルディア、トレンティ−ノ アルト アディジェ、ヴェネト、フリウリ ヴェネツィア ジューリア、リグーリア、エミリア ロマーニャの各州。酪農が盛んでバター、チーズなどの乳製品が作られ、玉ねぎ、じゃがいも、レモンの産地がある。肉は仔牛、豚をよく食べるが魚は内陸部では川魚が主で、鱒、川カマス、鰻などが多く、他に干ダラもよく使う。ポー川流域の穀倉地帯では米、小麦、とうもろこしが収穫される。各種の生パスタがあり、乳製品と合わせて食べることが多い。
 主な特産品としてフォンティーナ、パルミジャーノ レッジャーノ、グラナ パダーノ、ゴルゴンゾーラ、マスカルポーネ、タレッジョのチーズ、パルマ、サン ダニエーレの生ハム、ズィベッロのクラテッロ、チロルの燻製ハム スペック、モルタデッラ、コテキーノ、ザンポーネのソーセージ、アルバの白トリュフ、リグーリアのオリ−ヴ オイル、バズィリコ、モデナのアチェート バルサミコ、各種の生パスタなどがある。
 中部はトスカーナ、ウンブリア、マルケ、ラツィオ、アブルッツォ、モリーゼの各州。地理的にも食文化的にも中間に位置する要素を持っており、多様さが見受けられる。丘陵地帯が点在し、小麦、カルチョーフォ、カルドン、フィノッキオ、ファジオリ、チェチなど穀物、野菜の栽培が行われ、質の高いオリーヴ 油が造られる。ウンブリアの山麗地帯は狩猟鳥獣の宝庫でキジ、ハト、ウサギ、イノシシ、シカなどが狩猟解禁後に食べられる。肉は仔羊、鶏が比較的多く食べられ、魚はアカヒメジ、ウナギ、スピーゴラなどが多く海添いの地域ではブロデットやカッチュッコなど魚介の煮込みが食される。パスタは生、乾燥のもの共に食べられ、特にセモリナやじゃがいものニョッキは有名。
 特産品としてペコリーノ ロマーノ、ペコリーノ トスカーノ、スカモルツァのチーズ、トスカーナ、ウンブリアのオリ−ヴ オイル、キアーナの牛肉、大理石の町コロンナータのラルド、ノルチャの黒トリュフなどがあげられる。
 南部はプーリア、バズィリカータ、カンパーニア、カラブリア、スィチリア、サルデーニャの各州。典型的な地中海性気候で山岳部が広がっていてオリーヴ、ぶどう、トマトなどの生産量が多く、スィチリアとティレニア海の対岸あたりは柑橘類の栽培が行われている。また平地では硬質小麦が作られ乾燥パスタの原料となる。長い海岸線を持ち漁業が盛んで魚介も多様なものが食され、タコ、イワシ、カジキマグロ、アサリ、ム−ル貝などがとれる。パスタはほとんど工場製の乾燥のものが食べられる。他にナポリはピッツァとエスプレッソの本場でもある。
 特産品としてはカンパーニアのモッツァレッラ、スィチリアのタロッコ、サルデーニャのボラとマグロのボッタルガ、ペコリーノ サルデ、サッサリのオリ−ヴ 油がある。

イタリア料理の歴史的背景

 イタリア料理が郷土料理の集合と言われる所以は現在の国家として統一されたのが1870年であり、それまでは多くの都市国家、領土に分かれて、ある程度独立した文化をそれぞれが持ち、土地、産物、習慣、交易などに特徴付けられた料理文化が発達して来た経緯がある。
 またそれ以前には古代ローマ帝国があり、そしてその崩壊、イスラム世界の影響、ルネサンス時代の興隆を経て様々な文化交流があり、興亡がなされて現在の多様性が築きあげられている。
 このような経緯を経てでき上がったその土地の料理はそこに住む民衆のアイデンティティーとも関わり、伝統に深く立脚した独自のものができあがった。
 古代ローマ時代には、その属州の各地から高価で珍しい食物が集められ、それらを用いて奇抜で贅沢三昧の料理が作られて、支配者層に賞味された。
 この流れとは逆に、ローマから帝国の各地に運ばれたものに、ソースがある。
 ローマ帝国の滅亡により、それまでの支配者層の食の様式は断たれ、民衆の生活に溶け込んだ料理だけが生き残った。
 紀元1000年以後、アラブ民族のスィチリア統治時代が始まり、特に南の地方の現代イタリア料理に残る様々な食物、調理法が伝えられた。
 中世からルネサンス期に入り、芸術、文学の全盛期を迎え、古代ギリシャ文化やラテン文化の根源にさかのぼることで、新しい表現形式を創造することに成功した。このルネサンス運動の過程で、イタリア各地の宮廷は、料理の分野でも調理法の研究が盛んに行われ、調理技法の洗練性、優美さを極限にまで押し上げ、独自の食文化を誇るに至って、それはイタリア全土に広がり、当時それぞれ小国に分離独立していたとはいえ、ほぼ単一の言語を持ち、大いなる芸術創造運動としての統一像を見せたのである。
 イタリア ルネサンス期以降の各貴族社会のなかでは、料理はその本来の姿とは別に、会食や宴会を設営する技法も極度の華麗さに到達し、舞踏や芝居などの出し物に合わせて噴水や照明などの大がかりな仕掛けが設けられた。
 1492年、クリストファー コロンブスがアメリカ大陸に上陸し、この大陸との交流が漸時広がっていくが、食物の交流は当初、大きな進展を見せることはなかった。またその間に、フランス、オーストリア、イギリス、その他ヨーロッパ新興列強国の影響力が増大し、イタリアの国力は次第に下降線をたどり始めるが、食文化の面からは以後もなお、比較されるべき対象は現れずにいた。しかし十六世紀以降には、王侯貴族が競いあった繁栄は色あせていき、食卓の絢爛豪華さも衰退していった。
 フィレンツェ メディチ家のカテリーナが、フランス王家に嫁いだ1533年頃には、文芸、美術、技術などヨーロッパの先進国であったイタリアに学ぼうという熱がフランスで高まり、食文化全般に及んで多大な影響を与えた。その頃イタリアからフランスにもたらされた食物には、カルチョーフォ、白インゲン、グリーンピース、キャベツ、トリュフ、メロンなどがある。またフランジパーネ、ザバイオーネ、アマレットなどの甘味の作り方も伝えられた。
 ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、アメリカ原産インゲンマメ、赤唐辛子、ピーマン、イチゴやその他の果実、カカオなどの材料が顔を揃え一般に受け入れられるようになった十七世紀以降には、次第に今日のようなイタリア料理が形を整えてきて、各地で代々培われ継承されてくる。特に、イタリア以外の各地では食用として受け入れられなかったトマトは、カンパーニャの地に根付き、料理のヴァリエイションを広げていき、徐々にイタリア全土に拡大、普及していった。
 十八世紀半ば頃、イギリスから押し寄せた産業革命の波は、農業、生産、家畜の飼育など食への影響も多大に及ぼし、アメリカ大陸からの農産物がヨーロッパに大量に輸送されることによって、食料事情は飛躍的に変化することになる。
 十九世紀後半に北部のサヴォイア家の王を君主としてイタリアは統一され、第二次世界大戦後、共和制への移行によりイタリア共和国として現在に至る。
 このような特異な歴史は、地理的条件、気候風土と相まって各地に様々な豊かな料理を生み出し、郷土愛に育まれた料理として今日まで脈々と受け継がれてきた背景になっている。


基本の食材

・オリーヴ油

 オリ−ヴ油はオリ−ヴ果実を搾って取り出した油のジュースで、唯一果実から採った油である。ヴァ−ジンオイルは生の実を搾るか遠心分離によって得、中和、脱臭、脱色等の化学的処理、精製を施さず、油中に多くの種類の微量成分が残存し、その有効成分が風味、治療効果、抗酸化作用を及ぼす。オリ−ヴ油の健康面での効用は多岐に渡り、消化機能の調整、血糖値の調節、心臓血管系疾患の予防、老化防止などである。
 ギリシャ ローマ時代以前、ファラオの時代すでにオリ−ヴ油は料理、治療、宗教、灯油などに使用されていた。イタリアでは紀元前6世紀頃は栽培されていなかったが、油はアンフォラでギリシャから輸入され利用されていた。紀元前2世紀にスィチリア、紀元前1世紀にイタリア南部に植えられていった。現在はヴァッレ ダオスタ州を除いて全土で生産され、500を数えるオリ−ヴの種類のなかでもイタリアが栽培種の多さでトップで、品質の上でも単一農園で手摘みで収穫、製造される個性的オイルが特筆される。イタリアの生産量はスペインに次いで2位、消費量は1位。因に一人当りの消費量はギリシャが年間20リットルで世界一。
 オリ−ヴの樹は緯度25〜45の比較的暖かい地域に栽培され、その90%以上が地中海沿岸地域にある。植えられてから3〜5年で結実し、実は熟すに従って緑から淡い黄緑、赤紫、黒紫あるいは黒と変わり油脂分が多くなる。収穫は地域や作柄によって大きな幅があり、十月下旬〜翌ニ月下旬まで続いている。普通は完熟してから摘み取るが、未熟な実からの香りや苦みをオイルに反映させるためや、果実の腐敗、実の傷による酸化防止のために採取することもある。特にトスカーナ、ウンブリアではその傾向がある。収穫後冷水で洗浄、数時間休ませてから挽砕し、圧搾あるいは遠心分離によりジュースを取り出し、水分との分離を行う。こうして採油したものがヴァ−ジンオイルで、特に脂肪酸、主にオレイン酸の酸価1%以下のものをオリオ エクストラ ヴェルジネ ディ オリーヴァという名称で最高級品と分類している。1リットルを得るのにオリ−ヴの実約5Kgを必要とする。
 オリ−ヴ油は非常に安定性が高く抗酸化力も強いが、周囲の臭いや味を吸収しやすく紫外線により劣化する。加熱は180℃を超えず、長い時間をとらなければ化学的変化はほとんど発生しない。よく加熱する油はヴァ−ジンでなく精製した油を使う旨言っているのを聞くが、値段もそう大差ないものも多いのでヴァ−ジンオイルを使った方が良いと思う。目的により個別の製品を使用するのは当然として。香りを着けたくない場合は他の油脂を使えばよい。
 
オリオ エクストラ ヴェルジネ ディ オリーヴァには辛味(コショウ)、苦味、甘味、ほんの少し酸味が感じられ、風味はリンゴ、メロン、トマト、ピーマン、青草、ローズマリー、柑橘類、アボカド、ナッツ類、チョコレート、ロースト香などが現れる。料理に於いては主材料の持味を損なうことなく、清涼感と快い刺激、風味で包み込み美味しさを倍加してくれる。

・トマト

 日本でイタリア料理とくればまず思い浮かぶこの野菜も、料理素材として一般的に認知されたのは18世紀後期〜19世紀に入ってからである。ナス科でペルー、アンデス高地原産と言われ、ヨーロッパにとっての新大陸発見により15〜16世紀にかけてジャガイモ、トウモロコシ、ピーマン、カカオ等と共にもたらされた。
 ポモドーロ=黄金のリンゴ、というイタリア語の意味のとうり、この頃のトマトは黄色い実のものや赤い実のものもあり、鑑賞用の植物として扱われていたが、1575年出版の文献に初めて食材として登場している。イタリアに入って来たのは16世紀半ばスペイン統治下のナポリであった。
 当初は宗教的な禁断の果実、マンドラゴラと同じナス科の植物であり、得体のしれない異国のものとみなされ、試しに食べてみても酸味が強過ぎて不味く、カロリーが低く満腹感が得られない、と二世紀に亘って見捨てられていた。
 これを品種改良、食料として栽培されるようになったのは18世紀半ば   この頃すでにナポリでは手打ちパスタが一般的に食されており、トマトとの必然的な出合いが生まれたのである。
 トマトの栄養価は高く、炭水化物、タンパク質、水溶性食物繊維のペクチン、ビタミンA、B6、C、H、P、血圧降下作用のあるカリウム、同じくルチン、赤い色の素であり抗酸化作用のあるリコピン等が含まれる。
 ソース用として筆頭に挙げられるサン マルツァーノ種 は、イタリアに入ってから料理用のトマトとして品種改良を重ね到達した、実が厚く、種が少なくて、酸味、甘味のバランスが捕れている優良品種。しかし栽培の難しさもあって、生産料は少なくなり、伝染病が壊滅的な打撃を与え、元祖の品種は絶滅してしまった。現在、ほとんど他品種との交配の改良種が使われており、原産地保護呼称 D.O.P.(Denominazione di Origine Protetta)による保護政策が採られている。その定義は、サン マルツァーノ村近郊地域で伝統的手法により栽培、収穫された純血種で、果実の大きさ、色、味などの規定がある。
 他には小粒のポモドリーノがあり、カンパーニァ、スィチリアのパキーノが特産。酸味、甘味が強く、皮に味わいがある。外に吊るして乾燥トマトにしたり、潰してソースにしたり、もちろん生でも良い。縦半分に切って並べ、塩をふり、対流式のオーヴンで熱乾燥させてオリーヴ油に浸けておく。カルパッチョ、サラダ、パスタ、付け合わせにと多様に利用できる。
 サン マルツァーノ缶詰めを使ったソースも紹介しておこう。銅かステンレスの鍋にトマトをあけ、皮や傷んだ部分を除く。手かイモ潰し器で個々の実を潰し、火にかけて塩をして、沸騰したら冷ましてできあがり。つまり殺菌し、還元臭を取り、ソース状にするだけである。料理にするときに、各種ブロード、ハーヴ、ニンニク、コショウ、油を加えたり、漉したりして仕上げるので、応用が最大限効くように基本部分にとどめておく。
 



 
 

以下予定


・にんにく
・野菜、ハ−ヴ、豆、茸
・穀類(小麦粉、米、ポレンタ)
・パン、パスタ、ピッツァ
・魚介類
・肉類
・ハム、ソーセージ
・その他(玉子、カエル、エスカルゴ)
・チーズ
・果実類
・調味料(酢、オイル、塩、砂糖、スパイス、アンチョヴィ、ケイパー)
・コーヒー、ココア、チョコレート
・水
・酒

食習慣

飲食店の形態

三つ星レストラン

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